妊娠初期3 つわりがひどい時期でも嬉しい出来事はあるものです。

妊娠初期にはつわりの苦しさばかり覚えていますが、日記を読み返すと嬉しかったことなどもちゃんと記されていて、記憶に強く残っていること以外にも思い出せて、日記の素晴らしさを再確認できます。


8週目

妻は来週から仕事に復帰するため、今日は1人でゆっくり家で過ごしつつ、念願の母子手帳をもらいに行く。マタニティマークをもらいに行った時も嬉しかったけど、後々まで子供に残せる母子手帳はそれ以上にもらう嬉しさがあった。

久しぶりに外を出歩けて、これから必要になるワンピースを買いに行ったりして楽しんでいた。

夜は久しぶりの妻の料理は酢豚。とても美味しかった。もうつわり治っておくれ。


母子手帳が手に入ったことで風疹の予防接種が無料で受けられるため早速注射をしに行った。

午後からはまた気持ち悪くなり、夕食が食べられなかった。寝る前に少し吐いていた。


午前中は家でゴロゴロ過ごして、午後からキルフェボンへ買い物に出掛けて散歩を楽しむ。


2週間ぶりの仕事復帰の日、電車では座れて気持ち悪くならずに出勤ができたみたい。

会社では妊娠は知られてしまったもののまだ安定期ではないため「おめでとう」と言ってくれた人は1人だけ。

不妊治療をするまでは当たり前のように子供なんて産まれると思っていた私も、今は妊娠中に「おめでとう」と言えなくなっていることに気付く。


仕事も復帰2日目も気持ち悪さはあるもののひどくなく、平穏な日だった。


仕事復帰3日目。夕方から気持ち悪さがあって、ガリガリ君をリクエストされる。ガリガリ君が当たる。

お腹が少し出てきたように見えるが、ゆうきが育って大きくなったのか、便秘のせいでうんちが育ったのか。

寝る前に気持ち悪くて吐いてしまい、先週までの記憶が蘇ったみたいで不安になっていたが、その後は普通になれたようだ。


仕事と妊婦と主婦の両立は相当疲れるのだろう。最近は必ずちゃんと寝る前に1、2時間寝たから、ベッドに移動して寝る。


9週目

やっと金曜日。退院してから精神的にも安定していて、以前は少しの不安要素でゆうきの心配をしていたが、日々平穏に過ごしている。もしかするとまだ気持ち悪くて不安になる余裕がないだけかもしれないが。

血圧を日々測定していて、ここ数日は比較的安定している。


兄ファミリーが遊びに来て、いろいろ話していると、友達にKLCで妊娠して、うちよりも少し早く出産する人がいる事を聞き、お互いに元気な赤ちゃんを産めることを願った。


日曜は無理をせずに家でゆっくりのんびり過ごす。


退院後初めての残業をして来たから、途中駅で待ち合わせて一緒に帰る。ご飯がないため松屋さんのお弁当を買って家で食べる。


夕方から気持ち悪くなり、会社でも家でも吐こうとしても吐けずにスッキリできない状態が続く。でも夕食はほとんど食べられて食欲はある。

寝る前も気持ち悪くて寝られないと言っていたが、5分後にはイビキが聞こえて来た。


昨日からの気持ち悪さが残っていて、朝食も半分くらい残す。もう嫌だと言うが、もう少しでつわり期間は終わるはずだし、ゆうきが頑張っている証拠だから、頑張ってと励ます。

11:00頃に立て続けに知らない番号から電話が掛かってきて、3度目の着信で拒否せずにとる。妻の会社の人からで身構えながら用件を聞いてしまい、かなり冷たい人と思われただろう。

内容は妻が具合が悪くて救急車で病院に行ったと言うことだった。妻と連絡が取れないため、状況がわからず、妻とゆうきが心配でドキドキが止まらない。

とりあえず入院するかもしれないと考えて、午後半休を取って、家に帰って、荷物を取りに行こうと思い立ち電車に乗ると、妻から電話がきて、数日入院することを伝えられた。予想通りでいい判断をしたと自画自賛

電話ではゆうきの診察の結果も教えてもらって10週0日の大きさまで成長していたと言われた。少し成長が遅かったけど一気に通常の大きさまで成長していた。いい子いい子。

病院に着くと、気持ち悪いながらも前回の入院した時よりもだいぶマシな感じで安心した。食欲もそんなに落ちていなくて食べられていて安心。


朝から先生に「ベッドを開けたいからいつ退院する?」と言われたようで、今日退院することが決まった。やはりそんなに今回はひどいつわりではなかったようだ。

とはいえ、退院後にバス、電車の移動はツラく、電車では悪寒までしていた。でもそのツラさもマックでポテトを食べたら復活した。買い物をしてから家に帰る。

やっぱり家にいてくれると安心する。


妊娠初期2 つわりの辛さの日々の始まりに夫は何ができる?

まだまだ妊娠初期で悪阻(つわり)が本格化していきます。男ではこんなに辛い日を過ごすことは健康体では味わうことはないのではないでしょうか?

つわりは個々によってだいぶ異なりますが妻はかなりひどいつわりを味わったとおもいます。その頃の日記です。


6週目

昨日から変わらずの気持ち悪さで早朝から唸っている。

でもツライながらも会社の準備をして出社する。責任感の強さが突き動かしているのだろう。もしくは昨日よりもツラさに耐えられる体になったのか?

でも悪寒がするということで午後から病院へ行く。特に感染症とかもなさそうなため、つわりのせいと判断されて少しベッドで休ませてもらうものの、茶色おりものが気になるため、KLCへ行く。

内診を行なってもらい異常がないことがわかる。ゆうきの状態も見てもらえて、なんと3.8mmで心拍が確認できた。本当は来週土曜に確認する予定だったのに1週間も早く心拍を確認できて、突然の朗報にビックリさせられた。嬉しいお知らせだ。


朝から果物を食べ、昼間ラーメンを少し食べられたから、落ち着いて来たかと思ったら、午後からはずっと気持ち悪くてトイレとベッドの往復を繰り返し。吐くものも出しきってしまい辛そう。夜も食べられずギブアップ。

22:30に父に車で病院まで送ってもらう。父にはまだ妊娠の報告をしていなく、このタイミングで報告。

1時間近く待たされて、血液検査をしてから点滴をしてもらう。他に処置はできないようだったから帰ることにする。2:30に病院を出る。ずっと待っていてくれた父ありがとう。


ほとんど寝れず、飲食できず、妻は会社を休んだ。午後になって唸り声が聞こえてくる電話が掛かってきて、病院に電話したら入院を勧められたということで、会社を早退する。

入院の準備をして、また父に車で送ってもらう。

入院前に外来で診察をしてもらうと胎児の心拍をちゃんも確認できて一安心。いい子だ。緊急入院のため、2人部屋しか空いておらず、差額ベッド代が発生。でも誰もいないため個室状態でちょっとお得な気分。


入院2日目の朝、犬の散歩でいつも通り過ぎていた小さい神社で参拝をする。困った時だけの神頼みにならないようにします。

気持ち悪いまま朝を迎えたようだけど、日中は比較的ましだったみたい。昼休みに限度額適用認定証の申請を妻の保険組合まで行って渡す。速達よりも速達と自負。

夜病院へ行く時に冷凍みかんが欲しいと無茶ぶりされて、なんとか見つけて持っていく。個室状態の2人部屋は人が入ってきてしまい、少し残念。気持ち悪さも落ち着いていたけど、シャワーを浴びたらまた気持ち悪くなってしまった。

洗濯物を持って帰るが、途中で電車が止まり迂回して帰ることになり、げんなりな帰路。


今日も定時ダッシュでパジャマとタオルを持って病院へ行く。また同室の人がいなくなり個室状態。差額料金は気になるが嗚咽がひどいから個室状態がありがたい。

帰るまでの1時間半、背中をさすさす、とんとんしてあげて、トイレで吐くを繰り返していたよ。何度吐いても胸につっかえている何かが取れず、気持ち悪さがなくならず。


連絡しても何の返事もない1日で気持ちが悪いのが続いているのだろうと想像しながら病院へ行く。今日から少し節約のため病院から駅のバスを使わずに片道25分歩く。

気持ち悪くない姿勢を探し求める妻。ベッドの頭部分を起こして楽な姿勢を取っていたが、見ているこっちとしてみては窮屈そうに見えた。

今日もさすさす、とんとんをして、リクエストされた生ラムネを探しに行くが、病院近くにはなくて、明日持ってくることを約束して帰る


7週目

まだまだ続く入院生活。生ラムネと新品のパジャマを買って持っていく。風呂に入れずに臭くなったパジャマに耐えられなくなったようだ。

今日も気持ちが悪くて相当辛いみたいで、もう嫌だ!いつまで続くの?助けて!と悲痛な叫びに何もできない。胃が荒れて少し吐血もあって、痛み止めの薬も点滴に混ぜて投与した。


やっと週末になり、朝からやったことのない料理を午前中に済ませて、今週分の食事を確保する。午後から病院へ行き、まだできたいなかった入院手続きをする。

リクエストのスイカをタッパーに入れて持って行くと小さい冷蔵庫にはかなりかさばった。

体調の波はあり、気持ち悪さに加えて悪寒もするようで電気毛布を掛けてちょうど良くなったり、波が収まると布団をとってちょうどよくなり慌ただしかった。

血圧も少し高めで血圧を下げる薬も点滴に混ぜて投与した。ずっと横になっているからか肩や腰が凝ってしまうようでマッサージをする。しかしこっちも体力の限界で背中をさすりながら少しウトウトしてしまった。


病院へ行くと雑誌を読んでいて、気持ちの悪くない時間もできたようだ。でも昨夜は眠れず、午前中にやっと眠れた。テレビも観れるくらいの余裕ができてきて、この数日で1番具合が良さそうだ。

それでも気持ちの悪い時間はやってきて、吐いたら少し楽になり、少し眠る。数日ぶりのシャワーを浴びて、体はスッキリしたけどまた気持ち悪くなり悪寒もしていた。

1週間病院へ通い続けてこっちも疲れがたまっていたから少し早く19:00に帰らせてもらう。


平日に毎日病院へ行くのは体力的に辛いのがわかったから、今日は行くのはお休みにした。今朝は比較的快調だったようで、昼にオムライスが食べたくなったようで看護師さんと買い物に行って、昼と夜で半分ずつ食べて完食した。退院がみえてきたかな。

午後にゆうきの診察をして、心拍の確認がちゃんとできた。でも少し小さいのが気になったようだが最初から小さいし、強い子だから大丈夫。


退院の日を決めていいと言われたと連絡が来た。明日は休めないし、もう1日様子を見ても良いかなということで明後日にした。

まだ気持ち悪さはあるものの吐くほどではなかったが、車イスに乗っての移動では酔って吐いた。でも面会に行くと普通に話ができて、つわりの酷さは何処へやら。


今朝も体調が良い1日で良ければ良いで、他の事が心配になる。ゆうきが小さいこととか。そのため、不安を解消するためにいろんな言い回して試みる。ゆうきを信じなさいとか、その不安がゆうきにも伝わるとか、考えてもできる方は妻が元気に生活することしかできないとか、何が正しく安心させてあげられる言葉かはわからないけど、少し安心できたみたい。

明日で退院だから、独身生活も終わる。荷物も持って帰って明日に備える。


退院の日。日課になった犬の散歩の途中での参拝をして病院へ行く。退院の手続きを済ませて移動をする。車イスで酔ったからバスと電車に乗るのが不安だったけど、途中下車せずに到着。

KLCを卒業させてもらうために受付時間ギリギリに飛び込み、2時間以上内診を待つ。内診後の妻の表情が冴えない。モニターに出ている心拍を表す線が横一線で死んだ人のようだった言う。大丈夫と信じながらも、もしダメだったどうしようと、なかなか呼ばれないまま、いろんな想いが巡り極度の緊張が走る。

やっと呼ばれると、あっさり問題なく育っていますと告げられる。心拍164回で1.3センチと大きくなっていた。妻の早とちりで見ていたモニターは心拍とは関係なかったようだ。生きた心地がしないとはこんな状態なのかなと思った。

出産予定日も伝えられた。鬼子母神様にお礼を言って、昼もあまり食べていないのもあって、妻のリクエストで牛角で食べる。今までに見たことのない食欲で点滴生活で食に飢えていたようだ。


妊娠初期1 妊娠がわかった時は喜び、その後はひたすら神頼み

妊娠がわかった時、どんなに嬉しかったかは子供を望んでいた方は皆さん覚えていると思います。でも生まれるまでにはいろんな感情が渦巻き、楽しみの割合が多かった人、無事産まれてくれるか不安な割合が多かった人、ツラかった割合が多い人、夫婦間でも異なると思います。


私は、、、今思い浮かんだのは楽しみだったことかな。日記を読み返して転記することで、またいろんな感情を思い出してみようと思います。

ちなみに妻は確実にツライ思い出が大半を占めていたと確信しています。何でかはだいたい想像できますね。


まずは妊娠初期の頃から順に書いていこうと思います。


妊娠2週目

名前はもうゆうきと決めている。朝早くからKLCに並んで、待ち時間での疲れを少しでもなくす。今回は2つ育った胚盤胞の2つ目の移植日。この子は未熟卵に顕微授精して育った強い子。

胚盤胞になるまでに5日間と短くて、短いと男の子になる可能性が高いという噂ある。

血液検査、内診、診察をして午後から移植することが確定した。午後まで時間ができたからマックで休んで、本屋に行ってから、オムライスを食べて時間を潰した。

移植は無事に終了したため、後は安静に過ごすように心掛けてもらう。それと忘れてはいけない神頼み。鬼子母神様へ感謝をする。


妊娠3週目

着床の確認のため、KLCへ6:00に到着。1番乗りだ。妻は血液検査の開始時刻の7:30に間に合うように到着。血液を採取して、運命の結果をじっくり待つ。時間がこんなに過ぎるのが遅いのかと思った。

診察室に呼ばれて入ると、普段から神妙な顔付きの先生だ。この神妙な顔からいい報告が伝えられるのかが心配だ。神妙な顔から着床していると思われる充分な数値だと伝えられた。

妻の顔にも嬉しさの笑顔がにじみでる。神妙な顔からはおめでとうとかの言葉はなかったけど、少し顔が緩んでいるように見えた。

診察室を出る時も笑顔がにじみでそうになるが、他の人たちに気遣って、神妙な顔のまま病院を出る。

着床してくれて、ありがとう。


妊娠5週目

予定がいろいろある1日。5:50にKLCへ1番乗り。妻は後から到着。血液検査はなく、内診室で待つ。1番なのになかなか呼ばれず、画面に番号も出ない。忘れられているのかなとソワソワしていると突然呼ばれた。

内診が終了すると数分で診察室に呼ばれる。今回は神妙な顔先生ではなかった。エコー写真には胎嚢が写っていることが伝えられ、2人で笑顔で向き合う。診察室を出るときはやっぱり神妙な顔で出る。

鬼子母神様へのお礼と明治神宮にもお礼をしに行き、代々木駅の忘れ物案内所で念願のマタニティマークを貰う。これを付けられることの幸せなこと。

妻はその後に石川ゆみさんのワークショップへ行き、終わってから合流してからさいたま新都心へTM  NETWORKのライブに行く。前から5列で大迫力。目の前での爆破の演出は熱さを感じるくらい近くて、おなかの中でビックリしただろうと心配するくらいすごく楽しんだ。



この数日で1番気持ち悪くなったこの日、昨夜からあまり眠れずにトイレとお友達の夜を過ごしている中、私はベッドで広々ぐっすり寝てしまう。

朝も会社へ行く準備もできなきくらいで横になっていないと気持ち悪さに耐えられず会社を午前休する。

午後になり少し楽になったようで会社へ行く。会社のトイレともすっかり友達の絆を深めているから、会社の人も薄々気が付いてきているのではないかなと思う。でも安定期に入っていないし公表はできない。

主治医に食事、水分も取れていないなら入院も考えた方が良いと言われるが、水、スープ、うどんは食べられているから入院するほどではなさそう。でも今夜もトイレとのハグをする夜を過ごす。



子供の成長を日記に残してみるのはどうですか?

はじめましてマッシュパパです。


2児のパパをやらせていただいてます。そして日記を書き続けて6年。よく続けているなぁと我ながら感心感心。

始めたきっかけは、妊娠発覚から密かに書き留めて、出産後に妻へサプライズで妊娠中の頑張りや、辛かったり、心配だったり、喜んだりの日々を記した日記を渡したいと思って始めました。

その後も書く事を止めなかったのは、私自身あまり記憶力が良くないということもあり、子供のその時その時の成長を思い出せる日記を残して後で記憶を蘇らせたいとか、子供にいつか読んでもらいたいとか、妻、子供、自身のためですね。


なので、今までどこにも公開することなく書き溜めて来ました。


でも最近になりある人に日記を書き続けている事を話すと「ブログやってみたら?」と言われ、私自身は至って普通の特に面白味のない日記を誰も読んでくれる訳ないでしょ!と思いながらも、公開することで共感して頂いたり、何か感じて頂けれたらと思い、書いてみる事にしました。


まずは頑張って子育て中の方、これから親になる方に日記を書き続けていくことの、メリット、デメリットを伝えることから始めてのブログを書いてみます。


メリ1

子供の頃を知りたくなる時期に役立てる。

 私自身も親になってから自分の子供の頃(特に乳児幼児期)ってどんな風に育てられて、どう成長してきたのか父母に聞きたいけど叶わない状況の今、こんな日記があれば少しは子供の役に立つかなと始めた後から気付きました。

何十年先のことでしょうね。


メリ2

日記を毎月ママに見せる事で実はくいちがった気持ちだったとか、真実と違うことを書いていたりとか、思い出し笑いをしてしまうこととか、その間の出来事を振り返り楽しむことができます。


メリ3

子供の成長はあっという間で、下の子が成長した時に、上の子はあの頃って何ができていたっけと数年前の事を振り返る事ができる。

記憶力のある人なら大丈夫かと思いますが。


メリ4

記憶に残らない日常の細やかな笑い話や出来事も書いておくと、後からまたクスッと笑えて情景が浮かんできます。


デメ1

毎日書くのがなかなか大変なこと。

でも200字くらいで子供の成長、記憶を呼び覚ますキーワードくらいを書くのでしたら数分で終わります。

最初の頃はその程度で書いていた私ですが書くのが好きなのか何でも細かく書くようになり朝の通勤時間は日記を書くので潰れます。


デメ2

書き続けていくのは良いことだと思いながらも子供のためという気持ちから始めたもののいつ止めていいのかわからないこと。

中学生になっても書くのか?ここまで書いて止められるのか?まだまだ想像がつきません。


大したことのないメリデメですが、これをきっかけに書き始める人がいてくれたら嬉しいですね。


これからは今までに書き溜めてきた日記を読み返しながら、公開する最低ラインを突破したところから書いていこうと思います。